場所:東京都荒川区西日暮里3丁目
【標識なし】 [由来分類:不明 or 形状・地形(勾配)]
江戸時代の地誌『新選武蔵風土記』に登場する「地蔵坂」の解説には「谷中の台より道灌山の下へ通る坂なり、三十間ばかり」とある。「谷中の台」とは、西日暮里三丁目の台地のことであり、そこから道灌山の下へ下る坂といえば、現在の西日暮里公園の東側を通る急な坂(地蔵坂B)のことを示した記述である。しかし、今日では、この坂は「まの坂(「間の坂」「魔の坂」)」と呼ばれている。
地元の古老によれば「あまりに急なため、特に降りるときに危険だった。昔、荷物を引いていた牛馬が足を折ったり、転んで死んだ」とか、「昔、まだ西日暮里の駅舎がなくてトロッコが走っていた頃、他人と貨車がぶつかる事故があった。それで魔の坂などといわれるようになったのではないか」という話も残っている。これらは、交通・運輸に関わる荷物を運ぶ牛馬や鉄道から構成されており、どうやら近代以降に使われるようになった坂名のようだ。
上記の文章は、荒川区教育委員会 荒川ふるさと文化館発行 荒川ふるさと文化館だより 第22号(平成21年3月27日)より抜粋させて頂きました。
読み方については”あいのさか”というサイトもありますが、私は急坂で危険であるという「魔の坂」押しで”まのさか”とルビをふりました。ご容赦くださいませ。
文章にも出てくるように、西日暮里公園の東側を北から南へ線路沿いに下る結構きつい勾配の坂です。(13%:10m/80m)
《撮影日:2008年9月5日》
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