スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2022の投稿を表示しています

坂の魅力に取りつかれたのは 

 東京23区の坂の散策を始めるきっかけとなったのは、東京都北区にある大坂です。  当時の習い事の教室が埼玉県川口市だったので、JR赤羽駅から京浜東北線でJR川口駅まで通っていました。  自宅のある板橋区小豆沢(あずさわ)からJR赤羽駅までは国際興業バスを使う方法も勿論あるのですが、健康と経費削減のため往復徒歩で通っておりました。(片道30分弱)  歩けば色々な景色が見えてきます。 そんな中出逢ったのが「 大坂 」です。 赤羽台の団地からJR赤羽駅に降りる坂がこの大坂でした。 坂下には立派な北区教育委員会が設置した標識が立っていました。 余談ですが当時は坂下にモスバーガーのお店がありました。(2009年当時のストリートビュー)  坂一つにも名前が付けられていて、その由来も書かれている・・今までも、東京は坂の多い街だということは薄々気づいてはいましたが、この標識と出会ったおかげで俄然本気で調べてみよう、歩いてみようと思い立ったのです。 2012年に会社を退職するのを機に東京を離れる決心はついていましたので、残り5年間で歩けるだけ歩いてみようと決めたそんな坂との出会いでした。 坂の位置はGoogle mapに表示されるようにしておりますが、詳細番地を入力しても区域の中心を示してしまい、坂の位置とは異なってきます。ご了承くださいませ。詳細の場所については、各区の散策ルートにある坂の場所をクリックしてご覧ください♪ Google mapのストリートビューでは昔のビューを見ることができます。(私が見たのは2009年当時のビューです。当時の様子を見ることができてとても便利な機能だと思います)  2022年3月14日で旧のブログからの移行を完了しました。移行する中で残念だったことは、練馬区および杉並区をほぼ歩いていないことでした。東京を離れた今となっては訪問は難しく、他の方のブログを拝見することで歩いた気分に浸るのがせめてもの方法となりました。  坂の坂上と坂下の把握についてはおおよそ個人的な見解が入り、お叱りを受けることもあるかと思いますが、個人が作成した程度のブログであるとご容赦下さいませ。

板橋区の坂 雑感

  地形から見た坂の位置 板橋区の地形は、高台( 武蔵野台地 )と、荒川沿いの低地( 氾濫低地 )に大別される。おおむね首都高速5号線より北部が低地、南部が高台となっているのがわかります。また、川が走る流域(南部の石神井川,北部の前谷津川や出井川など)には 谷底低地 が形成され、これら低地は、樹枝状に形成しています。(ジオテックHPよりの引用) 武蔵野台地と荒川低地の境をなす崖線が、小豆沢(あずさわ) - 志村(しむら) - 中台(なかだい) - 西台(にしだい)  - 赤塚(あかつか)にかけて区の中央部をほぼ東西に貫き、付近は高低差に富み、坂道が多く作られている。前野町・中台・西台地区では、若木通りを尾根筋とする形で、すりばち状の谷戸(やと)地形が見られ、かつては、各所で 地下水 が湧き出ており、薬師の泉(小豆沢 3 丁目)、出井の泉跡(泉町)などにその名残が見られる。また、見次公園(前野町 4 丁目)の池は、自然の湧水によって形成されたものとのことです。地名からも崖であったことが伺えます。例えば小豆沢についてみると、 「あず」とは「がけなどの崩れたところ」。小豆沢は 江戸時代 には豊島郡峡田(はげた)領で、この「はげ」も「はけ」「かけ」「ほけ」などと同様に崖を意味するとあります。峡の坂や赤バッケ坂なども崖由来の名前だと思われます。 高台と氾濫低地を結ぶ坂    魚籃坂(小豆沢)      志村坂(志村) 清水坂(旧中山道 志村) とりげつ坂(西台) 川(石神井川)の流域の谷底低地へと走る坂           暗闇坂(南常盤台) 長命寺坂(南常盤台) 《参考にさせて頂いた文献(団体名等)》 ・ ジオテック株式会社 ・国土交通省 国土地理院   ・ 板橋区

★板橋区の坂道散策Ⅵ★

  今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>  ➡  ●赤塚6丁目  大堂の坂  ➡ ●赤塚7丁目  番匠免の坂  ➡ ●赤塚1丁目  梶谷津の坂  ➡ ●成増2丁目  帳元の坂  ➡  小次兵衛久保の坂  ➡ ●成増3丁目  成増坂  ➡ ●成増2丁目  新田坂  ➡ ●成増3丁目  百々女木坂  ➡ ●成増4丁目  石坂  ➡ ●成増5丁目  権現坂  ➡ ●成増4丁目  おなかや坂  ➡ ●赤塚3丁目  小井戸坂  ➡ ●成増4丁目  太郎坂  ➡ ●赤塚5丁目  つるし坂  ➡  藪の坂  ➡  出口坂 ●赤塚8丁目  赤バッケ坂  ➡ ●大門  しったり坂 ➡  <自宅>       赤塚植物園(赤塚5丁目) 東京大仏(赤塚5丁目) 小次兵衛窪庚申尊(成増2丁目) ★板橋区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2010年5月5日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★板橋区の坂道散策Ⅴ★

   今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>  ➡  ●本町  岩の坂  ➡ ●弥生町  海老山の坂  ➡ ●大谷口上町  地蔵坂  ➡ ●小茂根1丁目  すて場坂  ➡ ●向原2丁目  だらだら坂  ➡ ●小茂根5丁目  ばんち坂  ➡ ●東新町2丁目  堂坂  ➡ ●南常盤台1丁目  長命寺坂  ➡  暗闇坂 ●上板橋2丁目  ガッカラ坂  ➡  ●大原町  長徳寺の坂   ➡  <自宅>        縁切榎(本町) 氷川神社(東新町) 板橋(本町) ★板橋区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2010年5月4日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★板橋区の坂道散策Ⅳ★

    今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>   ➡  ●大門  馬坂   ➡   山の坂  ➡ ●四葉1丁目  宮前坂  ➡ ●大門  観音寺坂  ➡  ●徳丸8丁目  駒坂  ➡  番場の坂  ➡ ●徳丸7丁目  大坂  ➡ ●徳丸8丁目  下井戸の坂  ➡ ●徳丸5丁目  峡の坂  ➡ ●徳丸4丁目  お伊勢坂  ➡ ●徳丸3丁目  観音講の坂  ➡ ●徳丸6丁目  天神坂  ➡  鷹番の坂 ●徳丸2丁目  向坂  ➡ ●徳丸1丁目  新坂  ➡  おう坂  ➡  急坂 ●西台3丁目  番場稲荷の坂  ➡  弥陀堂の坂 ●西台1丁目  谷津坂  ➡ ●西台2丁目  神明坂  ➡ ●西台1丁目  伝兵衛坂  ➡  新道の坂  ➡ ●西台2丁目  とりげつ坂  ➡ ●中台3丁目  天狗坂  ➡ ●中台1丁目  閻魔坂  ➡ ●中台2丁目  南坂 ➡  <自宅> 諏訪神社(大門) 徳丸槙の道(徳丸5丁目) ★板橋区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2009年8月16日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★板橋区の坂道散策Ⅲ★

   今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) ★北区の坂道散策Ⅳ★  ➡  ●小豆沢4丁目  寺坂  ➡ ●志村2丁目   平次坂 ➡  <自宅> 東京メガシティ(小豆沢4丁目) 小豆沢神社とスダジイ ★板橋区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2009年2月8日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★板橋区の坂道散策Ⅱ★

   今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) ★千代田区の坂道散策Ⅳ★  ➡  <都営三田線志村坂上駅>  ➡ ●志村2丁目  城山の坂  ➡ ●志村1丁目   馬の鞍の坂  ➡ ●前野町4丁目  見次坂   ➡  <自宅> 見次公園(前野町4丁目) ★板橋区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2009年1月11日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★板橋区の坂道散策Ⅰ★

  今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) ★板橋区の坂道散策Ⅲ★  ➡  ●小豆沢4丁目  魚籃坂   ➡ ★ 北区の坂道散策Ⅲ★  ➡ ●志村2丁目  志村坂  ➡  清水坂   ➡  <自宅> いたばし まちあるきマップ 中山道 志村一里塚 薬師の泉(小豆沢3丁目) ★板橋区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2007年5月20日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

天狗(てんぐ)坂[松山の坂]【若木3丁目】

  場所:東京都板橋区若木3丁目 【標識なし】 [由来分類:植物(杉)] 坂の下に天狗杉が聳えていたので、 天狗坂 とも 呼ばれる。台地上には松林が広がり、蓮根(根葉村)や西台村から遠く望めて、中台に向かう目標ななったという。この松林も昭和のはじめ頃には一面の畑に変わってしまった。今では馬場崎貝塚跡があるので名を知られる。  「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会) より引用 環八通り(都道311号線)の若木三丁目交差点を坂下に南東に上る坂です。少しきつい勾配があります。( 6% :16m/260m) 《撮影日:2009年8月16日》

駒(こま)坂【四葉2丁目】

  場所:東京都板橋区四葉2丁目 【標識なし】 [由来分類:不  明  ] 旧小字馬場(現、四葉2-27,28辺り)から台地に下りる坂をいう。下は 種井坂 と合流する。四葉や徳丸の農家の人たちが徳丸田圃(現、高島平)へ行くのに通った主要な道であった。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立向口公園の西側を南西方向に上る坂です。写真の手前に移っているのは 無名坂(向口公園の坂) で、本坂は真っすぐに緩やかに上っている方です。(5%:8m/150m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(向口公園の坂)【四葉2丁目】

  場所:東京都板橋区四葉2丁目 駒坂 より板橋区立向口公園にあがる坂です。 《撮影日:2009年8月16日》

種井(たない)坂[沖口坂]

  場所:東京都板橋区四葉2丁目 【標識 な し 】  [由来分類:使用用途(種井)] 稲荷神社(四葉2-9)の東側の広い道路が北に向かって台地を下り、高島平方面に行く坂を 種井坂 という。旧小字沖口にあるので 沖口坂 ともいう。 昔は、四葉道が稲荷神社の西側を通っていて大きく迂回し 種井坂 に入っていった。坂を下ると坂の下近くの四葉2-21先に「種井」があった。2坪せいぜいの広さの池で、種籾を浸すのに使ったという。 「たない」は種井で、これから坂の名が付いた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 駒坂 と坂下を共有し真っすぐに南へ上る坂です。少しきつい勾配のある坂です。( 6% :15m/250m) 《撮影日:2009年8月16日》

宮前(みやまえ)坂【四葉1丁目】

  場所:東京都板橋区四葉1丁目 【標識なし 】  [由来分類:旧地名]  四葉の稲荷神社前を通る四葉道が、前谷津川の谷に下る坂である。この辺りの旧小字は宮前という。この先は荒川の早瀬を渡ってきた浦和道と合流し、練馬北町方面に向かう。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 新大宮バイパスと並行して北へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(5%:8m/170m) 《撮影日: 2009年8月16日》

無名坂(水車公園横の坂)【四葉1丁目】

  場所:東京都板橋区四葉1丁目 徳丸槙の道を坂下にして板橋区立水車公園の西側を北から南へ上る坂です。四葉1丁目13,18番地と17、14番地の間にあります。結構きつい勾配のある坂です。( 10% :8m/82m) 《撮影日:2009年8月16日》 <坂の途中で>👀📸 板橋区立水車公園

海老山(えびやま)の坂

  場所:東京都板橋区弥生町 【標識なし】 [由来分類:植物] 川越街道(国道254号)から分かれ、旧川越街道の上板橋宿に入るとすぐに緩やかな坂になる。 海老山の坂 という。この辺りの山を海老山と呼び、飢饉に備えた稗蔵があった。ヒエが訛ってエビと呼ばれるようになった。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 川越街道(国道254号線)日大病院入口交差点から北へ下る坂です。緩やかな勾配の坂です。(2%:4m/190m)坂上の日大病院入口交差点は 無名坂(仲町の坂) の坂上にもなっています。       《撮影日:2010年5月4日》

だらだら坂

場所:東京都板橋区向原2丁目 【標識なし】 [由来分類:形状・地形(長さ)] 向原小学校(向原2-34)の南側を上る曲がりくねった坂道がある。だらだらと長いのでこの名が付いた。この道は台橋道といわれ、北に行けば石神井川の台橋を渡り川越街道に出る。南は江古田通りに出る。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立向原小学校の南を南東に上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(4%:5m/130m) 《撮影日:2010年5月4日》

長命寺(ちょうめいじ)坂

  場所:東京都板橋区南常盤台1丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣)] 旧川越街道が下頭橋を渡り西に曲がり、長命寺(東山町48)があるお東山の方に上がる坂道を 長命寺坂 という。このお東山には、板橋城があったというが確証はない。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 環七通り(都道318号線)と川越街道(国道254号線)が板橋中央陸橋で立体交差します。ここを坂上として曲がりながら東へ下る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(3%:4m/150m) 《撮影日:2010年5月4日》

暗闇(くらやみ)坂【南常盤台1丁目】

  場所:東京都板橋区南常盤台1丁目 【標識なし】 [由来分類:所在位置(くらがり)] 石神井川に架かる下頭橋のたもとから天祖神社(南常盤台2-4)に向かう道は、さらに前野の方に向かうので前野道といわれた。この道が環7通りを横切るとすぐに坂道になる。崖の上から覆いかぶさる樹木で昼なお暗かったというところから 暗闇坂 と呼ばれる。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 環七通り(都道318号線)から北西に上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:5m/150m) 《撮影日:2010年5月4日》 <寄り道で見つけた>👀📸 ときわ台天祖神社

無名坂(前野町4丁目の坂)

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 無名坂(城山通りの坂) の途中から首都高速5号池袋線方面に向かって下る坂です。写真でもわかりますが、急にストンと落ちるような坂になっていて少しきつい勾配があります。( 8% :7m/91m)前野町4丁目40番地と28,41,43番地の間にあります。 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(前野町4丁目交差点の坂)

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 無名坂(城山通りの坂) の坂下から首都高速5号池袋線の高架下まで下る坂です。前野町4丁目40番地から5丁目47番地と48番地の間にあります。緩やかな勾配の坂です。(3%:2m/67m) 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(見次公園前交差点の坂)【前野町4丁目】

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 前野中央通り(前野町4丁目22番地と3丁目43~45番地の間)を走る坂で、南から北へ下って行きます。写真の上部に影のように映っているのは首都高速5号池袋線です。見次公園前交差点で 無名坂(福寿通りの坂) と対峙します。緩やかな勾配の坂です。(3%:4m/120m) 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(見次公園の坂)【前野町4丁目】

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 見次公園の中を北から南へ下る坂です。坂上は 見次坂 の坂上と同じ一里塚通り見次公園裏交差点です。手摺を持って降りないと転がり落ちそうな急坂の階段坂です。( 26% :29m/110m) 《撮影日:2009年1月11日》

見次(みつぎ)坂

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 【標識なし】 「由来分類:旧地名 or  施設(神社仏閣:見次山松寿院)] 見次公園の西側の崖に沿って上がる坂をいう。この先は中山道の一里塚の所に出る。 見次の語源は、この辺りが古代から拓けた所で、貢(年貢)の集積地であったと考えられることによる。 また坂の上に志村延命寺があり、山号院号は見次山松寿院という。この見次をとって名づけられたともいう。 延命寺縁起に伝え言う。大永4年(1524年)志村城は北条氏綱に攻められ落城した。このとき城主篠田五郎の家臣に見次権兵衛という者がいた。この戦いで子息権太郎が討死にするのを見て無常を知り、自分の邸宅を寺として延命寺を創建し自ら開基になった。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 一里塚通りの見次公園裏交差点を坂上に見次公園の西側を南へ下る坂です。 延命寺には以前見次幼稚園があり子供が通っており送り迎えをしておりました。いつだったか閉園されたという噂は聞きました。この坂は少しきつい勾配のある坂です。(7%:10m/140m) 《撮影日:2009年1月11日》