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無名坂(徳丸1丁目の階段坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区徳丸1丁目 徳丸1丁目56番地と58番地の間にある階段坂です。 《撮影日:2009年8月16日》

新(しん)坂【徳丸1丁目】

  場所:東京都板橋区徳丸1丁目 【標識 なし】 [由来分類:設置時期(新旧)] 東側の 急坂 よりあとに拓いた坂なので 新坂 という。徳丸1丁目の台地(中尾原)から下り今の不動通りに出る坂である。 昔は徳丸本村や徳丸台地お裾を回り、徳丸田圃に出る主要な道であった。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用     徳丸1丁目緑地辺りを坂下にして不動通り方面に上る坂です。坂の途中に おう坂 の坂下があります。少しきつい勾配のある細い坂です。( 8% :18m/220m) 《撮影日:2009年8月16日》

おう坂

  場所:東京都板橋区徳丸1丁目 【標識なし】 [由来分類:形状・地形(勾配)] 新坂 を上りきる少し手前の左に、短く急な坂がある。胸を合わせるような急坂なので、 合坂(おう坂) と呼ばれたのか。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 徳丸1丁目38番地と52番地の間にある路地のような坂です。急坂の途中から北へ上ります。坂上は階段になっていて更に急勾配となっているのがわかります。( 19% :5m/26m)このあたりには今でも細い路地坂(階段坂)が残っています。       《撮影日: 2009年8月16日》 

急(きゅう)坂[登り坂]【徳丸1丁目】

  場所:東京都板橋区徳丸1丁目 【標識なし】[由来分類:形状・地形(勾配)] 登り坂 とも呼んでいる。屈折してかなり急な坂である。この坂は徳丸と西台を分ける谷に沿っている。この谷にはツルマイ池(鶴舞または弦巻)があった。伝承に、「池の上空を飛んだ鶴が飛び越せずに池中に引き込まれる・・・・とか、いつのころかこの池の水が渇れたとき、大きな蛇(竜かも)が石神井池に暴風雨とともに飛んでいった・・・・とか。」いわれている。 この谷は昭和7年頃から同35年にかけて埋められてしまい、現在上は徳丸小学校の一部や西徳公園になっている。   「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 西徳通りを坂下にくねりながら南へ上る坂です。現在は少しきつい勾配のある坂となっていますが、埋め立てられる前の急な姿ではないようです。( 6% :12m/190m) 《撮影日:2009年8月16日》      

堂(どう)坂[地蔵坂]

  場所:東京都板橋区東新町2丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣)] 氷川神社(東新町2-16)の東側を、川越街道から南に向かって石神井川に下る坂がある。この坂の途中に、この辺りの旧家で大庄庵と称した小野沢氏の家があった。ここに地蔵堂があったので 地蔵坂 とも呼ばれる。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用  東新町2丁目4,5番地と9,10番地の間にある坂です。南から北へ上がる坂です。緩やかな勾配の坂です。(4%:4m/100m) 《撮影日:2010年5月4日》 <寄り道で見つけた>👀📸 坂の西側にある氷川神社

しったり坂

                               場所:東京都板橋区大門 【標識なし】 [由来分類:形状 or 自然現象 or 名前の転化】 昔、大門の農家の人たちが徳丸田んぼ(高島平)へ通うため諏訪神社の西裏手の崖から下る坂をいう。坂の名の語源は明らかでないが、非常な急坂なので、農耕の道具や収穫物を運ぶのは大変な苦労で、腰を落として後押しをする姿から「 尻垂れ坂 」になった。また、坂の中程から「清水が湧き垂れる」からとか、湯気がひどいので「 湿ったり 」の音転ともいわれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 東京都立赤塚公園大門地区を抜けて高島平方面に向かう抜け道のような坂です。写真でもわかるように途中には階段状となっており、気を付けないと滑りそうです。それこそ尻餅をつきそうです。 《撮影日:2010年5月5日》 <寄り道で見つけた>👀📸 赤塚諏訪神社 都営地下鉄三田線新高島平駅の南西,徒歩15分。信州の諏訪大社の分霊を勧請して文明年間(1469-1487年)に創建したと伝えられる。   鳥居をくぐると朱塗りの随身門があり,本殿の前には左右に銀杏の巨樹がある。夫婦銀杏と呼ばれ,樹齢は明らかではないが,縁結びや夫婦和合のシンボルとして信仰を集めている。   また,この神社は国の重要無形民俗文化財に指定されている「田遊び」の行事で知られている。田遊びとは,稲作の作業内容を唱えて五穀豊穣を祈願し,神に奉納する行事で,毎年2月13日に行われる。 (PORTAL TOKYO 東京ガイドより)

山(やま)の坂

  場所:東京都板橋区大門 【標識なし 】 [由来分類:所在位置(田へ)] 諏訪神社の東側一帯を田端口と呼んでいた。徳丸田圃の端になるからと考える。そこに「 山の坂 」といわれる田中家(大門8)があり、この家の裏から田圃に下りる急坂があった。このことから 山の坂といわれた 。 今は新しい坂と重複している。  「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 高島台門の交差点を坂下に東京都立赤塚公園沖山地区の中を抜けて曲がりながら西へ上る坂です。今では道幅の広い大きな坂です。少しきつい勾配があります。( 9% :18m/190m)坂の途中が 観音寺坂 の坂下となっています。 《撮影日:2009年8月Ⅰ6日》