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行人(ぎょうにん)坂[法印坂][法眼坂]【三番町】


場所:東京都千代田区三番町

【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:人名(総称)]
この坂を行人坂といいます。「東京名所図会」には「行人坂上六番町と中六番町との間を南の方へ上る坂を称す」とかかれています。「御府内備考」に「行人坂、古某法印と称する行人この辺に居するゆえにこの名あり。また印坂とも呼び或は転化して法眼坂という」。もともと法眼坂起伏により東郷坂行人坂南法眼坂と三つの名に分けてよんだものであり、法眼坂の名称だけの地図も多いようです。
南法眼坂からさらに北に下る坂です。『御府内備考』に「行人坂、古、某法印と称する行人この辺りに居するゆへこの名あり、また法印坂とも呼び法眼坂といふ。」と述べられているところから、坂の名がつけられたと思われます。なお、南法眼坂行人坂と次の東郷元帥記念公園西側の東郷坂は、南北に続く上がり下がりの坂道で、古くはこの坂道全体を法眼坂と呼んでいたようです。(千代田区HPより引用)



東郷通りと番町学園通りの交差点から南方面(番町文人通り)へ下る坂で、東郷坂と前述の交差点を挟んで対峙している坂です。勾配は緩やかな坂です。(5%:6m/120m)

《撮影日:2008年12月28日》

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