場所:東京都文京区小石川2丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅)六角氏]
「
六角坂は上餌差町より伝通院の裏門の前に出る坂なり、古くより高家六角氏の屋敷の前なる坂故にかくいえり」(『改撰江戸志』)とある。
『江戸切絵図』(万延2年(1861)の尾張屋清七板)をみると、この坂が直角に曲がっているあたりに、六角越前守の屋敷があったことがわかる。
餌差町は、慶長年間(1596~1615)、鷹狩りの鷹の餌になる小鳥を刺し捕らえることを司る「御餌差衆」の屋敷がおかれた所である。近くに歌人・島木赤彦が下宿し、『アララギ』の編集にあたった「いろは館」があった。
堀坂と同じ道の北側に坂上を持ち、いったん北に上ってから東に折れる坂です。その北側には善光寺坂が並走しています。少しきつい勾配のある坂です。(9%:5m/57m)『江戸切絵図』(万延2年(1861)の尾張屋清七板)をみると、この坂が直角に曲がっているあたりに、六角越前守の屋敷があったことがわかる。
餌差町は、慶長年間(1596~1615)、鷹狩りの鷹の餌になる小鳥を刺し捕らえることを司る「御餌差衆」の屋敷がおかれた所である。近くに歌人・島木赤彦が下宿し、『アララギ』の編集にあたった「いろは館」があった。
《撮影日:2008年11月2日》
《撮影日:2011年1月4日》
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