場所:東京都文京区小石川4丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:旧地名(吹上村)]
このあたりをかって吹上村といった。この土地から名づけられたと思われる。
吹上坂は松平播磨守の屋敷の坂をいへり(改選江戸志)。なお、別名「禿坂」の禿は河童に通じ、都内六ヶ所にあるが、いずれもかっては近くに古池や川などがあって寂しい所とされている地域の坂名である。
この坂も善仁寺前から宗慶寺・極楽水のそばへくだり、坂下は「播磨たんぼ」といわれた水田であり、しかも小石川が流れていた。
この水田や川は、鷺の群がるよき場所であり、大正時代でもそのおもかげを止めていた。
雑然と鷺は群れつつおのがじし あなやるせなき姿なりけり 古泉千樫(1886~1927)
播磨坂の南側をほぼ並行して走る坂です。坂下は播磨坂と同場所(植物園前)です。緩やかな勾配の大きな坂です。(4%:15m/350m)吹上坂は松平播磨守の屋敷の坂をいへり(改選江戸志)。なお、別名「禿坂」の禿は河童に通じ、都内六ヶ所にあるが、いずれもかっては近くに古池や川などがあって寂しい所とされている地域の坂名である。
この坂も善仁寺前から宗慶寺・極楽水のそばへくだり、坂下は「播磨たんぼ」といわれた水田であり、しかも小石川が流れていた。
この水田や川は、鷺の群がるよき場所であり、大正時代でもそのおもかげを止めていた。
雑然と鷺は群れつつおのがじし あなやるせなき姿なりけり 古泉千樫(1886~1927)
《撮影日:2008年11月2日》
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