スキップしてメイン コンテンツに移動

網干(あみほし)坂


場所:東京都文京区千石2丁目

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:職業] 
白山台地から千川の流れる谷に下る坂道である。小石川台地へ上る「 湯立坂」に向かいあっている。
 むかし、坂下の谷は入江で舟の出入りがあり、漁師がいて網を干したのであろう。明治の末頃までは千川沿いの一帯は「氷川たんぼ」といわれた水田地帯であった。
 その後、住宅や工場がふえ、大雨のたびに洪水となり、昭和9年に千川は暗渠となった。なお、千川は古くは「小石川」といわれたが、いつの頃からか千川と呼ばれるようになった。
小石川植物園の北側にある坂です。植物園の壁に沿って北から南西に下る坂です。少しきつい勾配のある坂です。(8%:12m/150m)

《撮影日:2008年10月12日》

コメント

このブログの人気の投稿

不動(ふどう)坂【六本木3丁目】

場所:東京都港区六本木3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:五大山不動院)]   五大山不動院の北側を東西に走る坂です 。 西の六本木墓苑側を坂下として東に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :7m/99m) この坂の北側に 丹波谷坂 が並行に走っています。 《撮影日:2009年4月19日》

樹木谷(じゅもくだに)坂[地獄谷坂]

場所:東京都文京区湯島1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:植物]   地獄谷坂 とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の路を北へ、 新妻恋坂 まで下る坂である、そして、 新妻恋坂 をはさんで 、 横見坂 に対している。  「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・ならびに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵野々遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。  徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。   地獄谷坂 と呼ばれたのは、その音の訛りである。  なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。 中山道から蔵前橋通りへ下る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :4m/67m) 《撮影日:2008年10月12日》 《撮影日:2011年1月4日》

無名坂(靖国通り横の坂)【富久町】

場所:東京都新宿区富久町 白鳥山善慶寺横の坂です。 坂上の折れ曲がるところが、東洋美術学校です。 結構きつい勾配のある坂です。( 10% :6m/59m) 《撮影日:2008年11月29日》