場所:東京都台東区谷中1丁目
【標識(台東区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅)]
「御府内備考」は
三浦坂について、「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり。
善光寺坂と三崎坂との間とありますが、三浦坂と三崎坂のあいだにもあかじ坂や真島坂があります。中坂と言われたころには、あかじ坂や真島坂という坂がなたっかたのか、名前が付いてなかったのかと色々と想像を掻き立てられます。勾配は少しきつい坂で、北東から南西に下る坂です。(9%:11m/120m)
一名中坂と称す」と記している。三浦家下屋敷前の坂道だったので、三浦坂と呼ばれたのである。安政3年(1856)尾張屋版の切絵図に、「ミウラサカ」・「三浦志摩守」との書き入れがあるのに基づくと、三浦家下屋敷は坂を登る左側にあった。 三浦氏は美作国(現岡山県北部)真島郡勝山二万三千石の藩主。勝山藩は幕末慶応の頃、藩名を真島藩と改めた。明治5年(1872)から昭和42年1月まで、三浦坂両側一帯の地を真島町といった。「東京府志料」は「三浦顕次ノ邸近傍ノ土地ヲ合併新ニ町名ヲ加ヘ(中略)真島ハ三浦氏旧藩ノ名ナリ」と記している。坂名とともに、町名の由来にも、三浦家下屋敷は関係があったのである。別名の中坂は、この坂が三崎坂と善光寺坂の中間に位置していたのにちなむという。
《撮影日:2008年10月9日》
《撮影日:2011年2月13日》
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