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2月, 2021の投稿を表示しています

金王(こんのう)坂

  場所:東京都渋谷区渋谷2丁目 【標識の説明】    [由来分類:地名(金王)]   明治大正昭和と波乱万丈の過程を経て市区改正町名変更に伴ない先輩諸氏の築かれた幾多の功績をたたえ由緒ある金王の地名を保存しここに 金王坂 と命名する。 立派な石柱標識の写真がなくなりました。😢(町会で設置されたもの) 青山通り(246号線)の宮益坂上交差点で 宮益坂 と出会います。(写真奥が渋谷駅に向かう坂下になります) 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :14m/250m) 《撮影日:2009年1月18日》

宮益(みやます)坂[富士見坂]

  場所:東京都渋谷区渋谷1丁目 【標識(渋谷区教育委員会設置)の説明】    [由来分類:地名(宮益町)]  かつて、 富士見坂 とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、 宮益坂 と呼ばれるようになりました。 渋谷駅から青山通り(国道246号)へ上がる坂です。 宮益坂上交差点で 金王坂 と出会います。 緩やかな勾配の坂です。(4%:14m/350m) 《撮影日:2010年1月3日》 《撮影日:2013年9月15日》 <寄り道で見つけた>👀📸 渋谷駅JR山手線側の「渋谷のんべい横丁」

無名坂(渋谷1丁目の坂)

  場所:東京都渋谷区渋谷1丁目 渋谷1丁目16番地と17番地の間を北の美竹通りに向かって上る坂です。(写真奥が美竹通り・・坂上です) 上京の際に訪問しました。 緩やかな勾配の坂です。(2% :1m/60m) 《撮影日:2013年9月15日》

天狗(てんぐ)坂【渋谷区猿楽町】

  場所:東京都渋谷区猿楽町 【標識(渋谷教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在施設(会社・店舗)]   岩谷松平(号を天狗、嘉永二年~大正十年1849~1920)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に紙巻煙草岩谷天狗堂を設立し、その製品に金煙草、銀煙草などと名前をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で明治の一世を風靡しました。煙草の製造に家内労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。明治三八年(1905)煙草専売が実施されるとこの付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に日本人の肉食による体質の向上を考えて養豚場等をなど国家的事業に貢献しました。晩年岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。 猿楽町5-1のシンエイビルと猿楽町2-11の氷川ビルの間を南東に上る細い坂です。 写真でもわかるように車止めが設置されています。 珍しく渋谷区教育委員会の説明板が設置されていました。 通りからの上りは結構きつくなっています。(写真奥が通りの坂下側)( 12% :4m/34m) 《撮影日:2009年1月18日》

無名坂(八幡通り横の坂)【渋谷区猿楽町】

  場所:東京都渋谷区猿楽町 八幡通りのすぐ側を走る坂で坂下を右に折れると八幡通りの下を抜けられます。 写真奥が坂下でJR線(山手線・埼京線・湘南新宿ライン)、写真左が八幡通りです。 緩やかな勾配の坂です。(5%:5m/94m) 《撮影日:2009年1月18日》

無名坂(桜丘町の坂)

  場所:東京都渋谷区桜丘町 間坂 と坂上を共有し、 桜丘町29番地と30番地の間を 南西に下る坂です。 坂下では 無名坂(南平台町の坂) の坂下と出会います。 写真奥が坂上でうねりながら上って行きます。 緩やかな勾配の坂です。(4%:4m/110m) 《撮影日:2009年1月18日》

無名坂(猿楽町の坂)

  場所:東京都渋谷区猿楽町 渋谷区立八山中学校の南側(鴬谷町10,11と猿楽町7の間)を南西(写真奥)に上る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(5%:7m/150m) 《撮影日:2009年1月18日》

無名坂(恵比寿南3丁目の坂)

  場所:東京都渋谷区恵比寿南3丁目 駒沢通りを坂上として、恵比寿南3丁目1番地と2番地の間を南(写真奥)へ上る坂です。 少しきつい勾配があります。( 9% :7m/76m) 《撮影日:2009年1月18日》

間(あいだ)坂【桜ヶ丘町】

  場所:東京都渋谷区桜丘町 【標識なし 】   [由来分類:不明] 玉川通りの渋谷駅西口交差点を坂下としてセルリアンタワーの南側を南平台町に上る坂です。 渋谷区立桜丘公園近くの坂上で 無名坂(桜丘町) の坂上と出会います。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :15m/240m) 現在の地図ではこの坂の南東側に“さくら坂”なる通り名が付けられています。 渋谷区のHP(更新:令和2年4月1日)には 渋谷区は、区民生活の利便性および道路や広場に対する親近感の向上や、地域のまちづくりの推進および活性化に資することを目的に、区民の生活空間であり多様な文化発信の場となってきた区道などに通称名を定めています。 区道など16路線 井ノ頭通り、旧渋谷川遊歩道(キャットストリート)、公園通り、 さくら坂 、渋谷リバーストリート、神宮通り、スペイン坂、センター街(バスケットボールストリート)、竹下通り、道玄坂、八幡通り、原二本通り、ファイアー通り、文化村通り、美竹通り、宮益坂(50音順) いつ付けられたのかは不明ですが、私が歩いた時にはなかったと思います。 《撮影日:2009年1月18日》

勢揃(せいぞろい)坂

  場所:東京都渋谷区神宮前2丁目 【標識(渋谷区教育委員会設置)の説明】    [由来分類:使用用途(出陣)]   ここのゆるい勾配の坂を 勢揃坂 といい、渋谷区内に残っている古道のひとつです。  後三年の役-永保三(1083)に八幡太郎義家が奥州征伐にむかうとき、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残されております。  このとき従軍した武士の中に坂東八平氏(平氏の一族)のひとり河崎重家(渋谷の領主)がおり、手柄をたてたという伝説があります。  真偽についてはもちろんわかりませんが、区内に伝わる源氏に関する伝説のひとつとして注目されます。 外苑西通りの東側を通りと並行に走る坂です。(写真奥が坂上です) 標識にもある通り緩やかな勾配の坂です。(4%:5m/130m) 《撮影日:2009年1月18日》

観音(かんのん)坂[新富士坂]【恵比寿南3丁目】

  場所:東京都渋谷区恵比寿南3丁目 【標識なし】    [由来分類:施設(神社仏閣)] 「坂の途中に馬頭観音像があることによる。昔は新富士坂といった。・・・  」 JR恵比寿駅の南西にある恵比寿南三丁目交差点を坂下にして更に南西に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :12m/200m) 《撮影日:2009年1月18日》 <坂の途中で>👀📸 この祠の中が道しるべ 渋谷区教育委員会設置の標識によると、 「中央に南無阿弥陀 佛 、 その左側にゆうてん寺道、 右側に不動尊みちと書いてある」 そうです。