場所:東京都文京区根津1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:設置時期(新旧) & 施設(神社仏閣)根津権現] 本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、 新坂 と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので 権現坂 ともいわれる。 森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説「青年」を読み、好んでこの坂を S坂 と読んだ。したがって S坂 の名は近く観測楼に住んだ森鴎外の命名である。 根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。 根津神社の南側を走る坂です。 西が坂上で、東の根津神社入口交差点方面に下っていきます。 少しきつい勾配がある坂です。( 7% :12m/180m) 《撮影日:2008年10月12日》 <寄り道で見つけた>👀📸 言問通り(根津1丁目) 旧町名案内(旧根津須賀町) 「言問」という名称は在原業平の詠んだ、 名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと という歌に因むが、実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白髭橋付近にあった「橋場の渡し」でのことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではないため、多くの説がある。(言問橋由来より) 根津神社
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