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1月, 2022の投稿を表示しています

長徳寺(ちょうとくじ)の坂[お大日坂]

  場所:東京都板橋区大原町 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣)] 長徳寺(大原町40)の南側の坂を 長徳寺の坂 、または お 大日坂 と呼んだ。  前野の古い道の一つに、お大日道があり、練馬道(富士見街道)から分かれ前野の原を横切って、出井川の谷に下り、大日橋を渡り長徳寺の南側の坂になる。  かつて長徳寺の本尊は大日如来で、大日堂がありここに祀られていた。「子育て大日尊」「乳授けの大日さま」といわれ信仰された。このため参詣の人が絶えなかったという。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 長徳寺南東側を南から北へ上る坂です。緩やかな勾配の坂となっています。(5%:6m/130m) 《撮影日:2010年5月4日》

無名坂(小豆沢4丁目の坂Ⅳ)

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 体育館通りを走る 魚籃坂 の途中から東へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(4%:5m/130m) 《撮影日:2009年2月8日》

無名坂(小豆沢4丁目の坂Ⅲ)

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 この坂は 無名坂(小豆沢4丁目の坂Ⅱ) の東から 寺坂 に上がる短い階段の坂です。 小豆沢4丁目16番地にあります。坂の周辺はニリンソウ群生地になっています。 《撮影日:2007年5月20日》

無名坂(小豆沢4丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 この坂も”金網公園”(小豆沢公園の一つ)の東から坂上の龍福寺側にに上がる階段の坂です。坂上は 寺坂 の途中に出ます。小豆沢4丁目16番地にあります。 《撮影日:2007年5月20日》

無名坂(小豆沢4丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 子供たちが呼んでいた”金網公園”(小豆沢公園の一つ)から坂上の小豆沢神社側に上がる階段の坂です。小豆沢4丁目16番地と17番地の間にあります。 《撮影日:2007年5月20日》

無名坂(ふか坂横の坂)

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 ふか坂 (北区赤羽北3丁目)の途中から西へ上る坂です。場所は小豆沢4丁目1番地と14番地の間で、坂上には板橋区立志村第四小学校があります。 上の写真左手は空き地として映っていますが、昔は特許紙器の板橋工場がありました。短いですが少し急な勾配のある坂となっています。( 7% :5m/67m)余談ですが ふか坂 の東側は雪印乳業東京工場でした。(現在は東京メガシティ・・大きなマンション群となっています) 《撮影日:2009年4月Ⅰ6日》

魚籃(ぎょらん)坂[井戸谷津の坂]【小豆沢4丁目】

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(塚)or 旧地名] 新河岸沿いで漁業をしていた人々が、農業を始めた時、今まで使っていた多くの魚藍(びく)を一ヶ所に埋め塚を作った。その塚を「 八百魚藍塚 」と呼び、そこから始まる坂の名称にもなった。『いたばしの地名』より 別名  井戸谷津の坂 ともいう。 その昔小豆沢の台地下の荒川(昔の入間川)で漁業をしていた村人が農業に転じたとき勝手に漁を行わないように、今まで使用していた多くの「びく」(魚藍)を、坂の上に埋め塚を築いた 。「八百漁藍塚 」という。  井戸谷津の坂については、旧小字井戸谷津の谷を下るので、この名で呼ばれる。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用     小豆沢公園の北東側の体育館通りを走る坂で、北から南へ上ります。少しきつい勾配のある坂です。( 6% :13m/230m) 《撮影日:2007年5月20日》 《撮影日:2010年5月2日》 <寄り道で見つけた>👀📸 坂上で交差する通りが小豆沢通りです。はなみづき通りとも呼ばれ、春になると桜が、初夏を迎えると文字通りハナミヅキやツツジが咲いて色鮮やかな花の通りへ変身します。近所に住んでいたので大好きな通りでした。

寺(てら)坂

  場所:東京都板橋区小豆沢4丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣):龍福寺] 龍福寺と小豆沢神社のある台地から下る坂をいう。この先は荒川(現、新河岸川)に行き着き、江戸時代から新河岸川の舟運で栄えた小豆沢河岸(別名大根河岸)や、対岸の浮間とを結ぶ浮間の渡し場があった。今は小豆沢公園・新河岸川親水レクリエーションゾーンになっている。また隅田川・荒川・東京臨海部めぐり東京水辺ラインの船着場がある。 崖下左手には御手洗不動堂や池が復元されている。龍福寺の秘仏薬師如来が出現した所といわれ、この清水で眼病に罹た眼を洗うと治るといわれた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用   小豆沢4丁目16番地と15番地の間を東へ上る坂です。寺の名前(ここでは龍福寺)がついた坂はたくさんありますが、単に”寺”という総称で呼ばれる坂は珍しいのでないかと思われます。 崖線を直線的に上る坂ではないので、それほどの勾配ではないかと思いきや結構きつい勾配のある坂となっています。( 10% :9m/93m) 《撮影日:2007年5月20日》 《撮影日:2009年2月8日》

無名坂(小豆沢3丁目の坂Ⅱ)

   場所:東京都板橋区小豆沢3丁目 新河岸川(荒川水系隅田川の支流)の低地沖積層部である志村坂下から崖上の 小豆沢 にあがる坂がたくさんあります。ちょうどこのあたりが崖線の 境目にあたるためでしょう。 この坂もその中の一つで、坂上は小豆沢公園となっています。緑豊かな地域で好きな場所の一つでもありました。 《撮影日:2007年5月20日》

無名坂(小豆沢3丁目の坂Ⅰ)

 場所:東京都板橋区小豆沢3丁目 新河岸川(荒川水系隅田川の支流)の低地沖積層部である志村坂下から崖上の 小豆沢 にあがる坂がたくさんあります。ちょうどこのあたりが崖線の 境目にあたるためでしょう。 この坂もその中の一つで、坂上は小豆沢公園となっています。緑豊かな地域で好きな場所の一つでもありました。 《撮影日:2007年5月20日》

赤バッケ(あかばっけ)坂

  場所:東京都板橋区赤塚8丁目 【標識なし 】 [由来分類:自然現象]   区立赤塚溜池公園の東向かいの台地は都立赤塚公園になっている。ここに上がるためにコンクリートの階段があるが、昔は赤土そのままの崖の坂であった。 崖は狭(ハケ)と同義語で、このあたりのでは訛ってバッケといわれる。このことから土地の人達は、 赤バッケ坂 と呼んだ。溜池側から眺めると赤い関東ローム層の崖が見える。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 坂下側が東京大仏通りになっていて東に上る階段の坂です。赤塚8丁目21番地と22番地の間にあります。 《撮影日:2010年5月5日》

梶谷津(かじやつ)の坂

  場所:東京都板橋区赤塚1丁目 【標識なし 】  [由来分類:  所在位置(川へ)] 水車公園の脇を上って新大宮バイパスを横切ると、南北に通る「浦和道」と合流する。浦和道を南に向かうと、やがて道は梶谷津川に下る急坂になる。梶谷津橋を渡りまた新大宮バイパスをくぐると上り坂になる。この上り下りの坂を 梶谷津の坂 という。南に上がれば旧小字京宗と大塚原の境を分けて台地に上がり、練馬北町の方に出る。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 徳丸4丁目の板橋区立赤塚第一中学校の北側を坂下に、途中新大宮バイパス(国道17号線)をくぐり、赤塚7丁目の2番地の坂上まで続く坂です。全体の長さ(400m)からすると緩やかな勾配(2%:8m/400m)となっていますが、新大宮バイパスをくぐってからは少し急な勾配となっています。( 8% :9m/120m) 《撮影日:2010年5月5日》

無名坂(赤塚7丁目の坂)

  場所:東京都板橋区赤塚7丁目 赤塚7丁目13番地と20番地の間を坂下にして、南へ上る坂です。新大宮バイパスと並行に走る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:4m/140m) 《撮影日:2010年5月5日》

番匠免(ばんしょうめん)の坂

  場所:東京都板橋区赤塚7丁目 【標識なし 】  [由来分類:旧地名 & 職業] 赤塚中央通りの 大堂の坂 の下、前谷津川に架かっていた橋本橋から南に向かう坂をいう。この辺りの地名は旧小字番匠免と呼ばれ、かつての大寺であった大堂を建てたり維持にあたる番匠(大工)が住んでいた。これらの人は租税が免除されたのでこの名が付いた。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 前谷津川緑道と交差するあたりで 大堂の坂 の坂下と出会います。そこを境に南へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です(3%:5m/170m) 《撮影日:2010年5月5日》   

大堂(だいどう)の坂

  場所:東京都板橋区赤塚6丁目 【標識なし 】 [由来分類:施設(神社仏閣)]   大堂(赤塚6-40)の東側を南北に赤塚中央通りの坂がある。坂の下は前谷津川の橋本橋があった。上がりきると松月院通りに出て、松月院の山門が見える。この先は、東京大仏通りになる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用       松月院大堂の東(赤塚中央通り)を北から南へ下る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:6m/180m)坂下で 番匠免の坂 の坂下と出会います。 《撮影日:2010年5月5日》 <坂の途中で>👀📸 坂上にある松月院

無名坂(赤塚5丁目の階段坂)

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 赤塚5丁目30番地にある階段の坂で、 つるし坂 の坂下あたりにあります。東側から西側に石壁に沿って上っています。 《撮影日:2010年5月5日》

無名坂(赤塚5丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 赤塚5丁目7番地にある坂で、赤塚五丁目第一農園の北東側を北から南へ下る坂です。上の写真の右手が赤塚五丁目第一農園で、南へ緩やかに下っています。(3%:1m/30m) 《撮影日:2010年5月5日》

無名坂(赤塚5丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 赤塚5丁目7番地にある坂で、赤塚五丁目第一農園の南西側を北から南へ下る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:1m/30m) 《撮影日:2010年5月5日》

無名坂(赤塚植物園の坂)【赤塚5丁目】

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 赤塚植物園(万葉薬用園の東側)の中を南から北へ下る坂道です。緩やかな勾配の坂です。(2%:1m/66m) 《撮影日:2010年5月5日》 <坂の途中で>👀📸 赤塚植物園の万葉・薬用園の様子です。 日本で古来からある植物、日本文化と深い関係のある植物を集めました。万葉集に謡われている植物の多くはここで見ることができます。日本に自生する薬用植物も含まれています。案内板には万葉集の歌が書かれているので、植物と合わせて楽しく学べるようになっています。 1986(昭和61)年開園です。(板橋区HPより引用)

藪(やぶ)の坂

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 【標識なし 】 [由来分類:植物 自然現象]   不動の滝(赤塚8-11)の前から赤塚城址の台地と、乗蓮寺のある台地との間を上がる狭間道がある。この坂の両側は笹の繁みの深いところであったので 藪の坂 と呼ばれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 赤塚5丁目29番地と30番地の間にある坂で、 薬師堂の西側を上りま す。少しきつい勾配のある坂です。( 9% :10m/110m) 《撮影日:2010年5月5日》 <寄り道で見つけた> 👀📸 東京大仏は乗蓮寺の境内に鎮座していました。 乗蓮寺本堂の右手にあるのが高さ13mの青銅製の大仏、通称東京大仏です。平和を祈って建立された大仏は、完成当時日本第3位の大仏と言われ、板橋十景にも選ばれています。 境内にある様々な石像は、藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったと言われるもので、なかでも「がまんの鬼」のユーモラスな表情が楽しいですよ。(板橋区HPより)

出口(でぐち)坂

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 【標識なし 】 [由来分類:施設(城址)or 総称(出口)]   赤塚城址がある赤塚公園の山の西側の坂を 出口坂 という。この坂の上あたりが赤塚城の大手口にあたるのでこの名がある。そしてこの坂は赤塚5丁目と4丁目を分けている。  ここを通り、川越街道方面に向かう道の途中に二塚がある。500年前の戦国時代に赤塚で戦いがあり、その時の人や馬の亡骸、折れた刀や弓矢などを埋めて塚を造ったといわれる。このことは『いたばしの昔ばなし』に書かれている。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用   赤塚公園とありますが、地図上では赤塚城址のある公園(赤塚溜池公園の南)の 西側を北から南へ上る坂となっています。少しきつい勾配のある坂です。( 7% :26m/350m) 《撮影日:2010年5月5日》

つるし坂

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 【標 識なし 】 [由来分類:自然現象 or 所在位置(川へ)] 赤塚植物園の南側は上谷津の谷で、赤塚小学校の北側あたりを谷頭として谷川が流れていた。この谷に上がり下りする坂を つる し坂 と呼ぶ。現在は土盛されて緩やかになっているが、かなりの急坂である。「つる」は「水流」の意で、「し」は接尾語であり、雨の時は大いに水の流れる坂を意味する。  この坂道は、南にある大堂の下の前谷津川を渡る橋「亀橋」に続くので、対照的に「 鶴嘴坂(つるしさか ) 」 と、鶴と亀のめでたい意味付けがなされていた。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立赤塚植物園の南側に位置し、南東から北西に上る坂です。勾配は緩やかです。(3%:4m/120m) 《撮影日:2010年5月5日》

小井戸(こいど)坂

  場所:東京都板橋区赤塚3丁目 【標識なし 】 [由来分類:所在位置(川へ)]    上赤塚公園の北側の道は、成増4丁目と赤塚3丁目の境を通っていて、小井戸の谷頭にあたる。ここに下りるのに昔は急坂であったという。この坂を 小井戸坂 という。今は埋められて、なだらかな坂になっている。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 上赤塚公園の北側を北から南へ上る坂です。昔は急坂だったようですが、上の写真でもわかるように現在は緩やかな勾配の坂となっています。(3%:5m/150m) 《撮影日:2010年5月5日》