場所: 東京都墨田区東向島1丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣)子育地蔵堂] 墨田区唯一の名のある坂です。 名前は地蔵坂通りとして有名です。 ご覧の通りの勾配ですから、坂と呼ぶには・・・。(0%:1m/220m) それでも後述する子育地蔵堂の説明には”「 地蔵坂 」で知られている”、と出てきております。 《撮影日:2009年5月4日》 <坂の途中で>👀📸 子育地蔵堂 所在 墨田区東向島三丁目二番一号 この小堂に祭られている子育地蔵は、 文化年間(1804~ 1817)に隅田川の堤防修築工事の際、 土中から発見され たと伝えられています。 初は村の子供たちが、 神輿がわり にこの地蔵をかついでいたそうです。 ところがこの地に古くから住む植木屋平作方の雇人夫婦が、 ある日、田地で殺害されましたが、この地蔵が村のこどもの 口をかりて犯人をお告げになり、 たちまち犯人を捕えること ができました。 この奇跡に驚いた平作は、 当所に地蔵を安 置して供養を怠りませんでした。 その後、 将軍家斉が当地に鷹狩に来て、 平作方に小憩の 際、 地蔵の由来を聞いて感銘し、 帰城の時にお参りしまし た。 平作はこれを記念して小堂を建てて、地蔵を安置した ところ、 多くの人々が参詣するようになりました。 このお堂の前の坂は明治四十四年、 堤防修築の時にでき たものですが、今も「 地蔵坂 」の名で知られています。 昭和六十二年三月 墨田区
坂は高低のある場所を結ぶ道程 こんな当たり前の説明はともかく 上れば”素敵な景色がある” 下れば”別の世界が広がる”という思いで東京23区の坂を歩きました。 「明日はどこの坂へ行こうか!どんな坂なんだろうか!」とあれこれ期待を膨らませ・・・地図に印をつけながら、回るルートを決めたものでした。坂名として知らないものが出てくるとワクワクしながら調べたり、どの坂とどの坂が繋がっていたのか、坂下でもしくは坂上で出会うことになる坂はあるのか等々。 とにかく東京を離れる2012年3月末までに回れるだけ回ろうと思って始めた坂巡りです。 名前のない坂もたくさん撮りました。ひょっとすると名前がこの先つくことがあるかもしれないと思いながら。 2020年現在は瀬戸内での田舎暮らしを満喫しております。 車がないと暮らせない生活にどっぷりとはまってしまいました。 2020年6月末より、Google mapによる坂の勾配(%)を参考として掲載するようにしました。 坂下から坂上までの距離は私が勝手に設定したものですので、あくまで参考値としてご覧頂ければ幸甚です!!