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2月, 2022の投稿を表示しています

百々女木(すずめき)坂

  場所:東京都板橋区成増3丁目 【標識なし 】 [由来分類:所在位置(川へ)]   上赤塚の氷川神社方面から 太郎坂 を通り、成増ヶ丘小学校・赤塚二中学校の前から百々女木川の谷に下りる坂を 百々女木坂 と呼んだ。今は直線化されたが、以前は谷に向かって大きく屈折していた。 谷を上がれば東上線の成増駅の北側に出る。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 現在は地形も区画も変わっていてどのように百々女木川(百々向(すずむき)川ともいわれていたとのこと・・現在は暗渠になっている)の谷に降りる坂だったのかうかがい知ることはできません。坂下あたりに川が流れていたようですが。( 4%:7m/180m) 《撮影日:2010年5月5日》

帳元(ちょうもと)の坂

  場所:東京都板橋区成増2丁目 【標識なし】  [由来分類:施設(屋敷・邸宅) or 職位]  小次兵衛久保坂 の下からすぐに上りになる坂をいう。坂の上は赤塚新町になり、この辺りを帳元という。この名の起こりは、江戸時代から今日にいたるまで、城北一帯の興行物などの一切の勘定の取締りをしていた帳元の家(友山氏宅)があることによる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 川越街道を走る三つの坂(北から 成増坂 ・ 小次兵衛久保坂 ・ 帳元の坂 )の一番南側の坂です。今では幅の広い緩やかな坂となっています。坂下が 小次兵衛久保坂 の坂下で、坂上が成増に丁目交差点になります。(3%:6m/230m) 《撮影日:2010年5月5日》

小次兵衛久保(こじべえくぼ)坂

 場所:東京都板橋区成増2丁目 【標識なし】  [由来分類:名(人名)]   川越街道(国道254号)の 成増坂 を上がるとすぐに下り坂になる。この坂を 小次兵衛久保坂 と呼ばれた。  小次兵衛は人の名で、『いたばしの昔ばなし』に「橋を作ってくれた怪人小次兵衛」に語られている。街道を荒らした盗人であったが、改心して窪を流れる小川に立派な橋をかけて旅人の難儀を救ったという。  ここから上り坂になり 帳元の坂 になる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会) より引用 川越街道を走る三つの坂(北から 成増坂 ・ 小次兵衛久保坂 ・ 帳元の坂 )の真ん中の坂です。今では幅の広い緩やかな坂となっています。坂下が 帳元の坂 の坂下です。(2%:5m/210m) 《撮影日:2010年5月5日》

無名坂(仲町の坂)

  場所:東京都板橋区仲町 川越街道(国道254号線)の日大病院入口交差点を坂上にして北へ下る坂です。弥生町、大山町、仲町を走る坂ですが、仲町の坂で整理しました。緩やかな勾配の坂です。(2%:6m/250m)坂上(日大病院入口交差点)は 海老山の 坂 の坂上でもあります。 《撮影日:2010年5月4日》

無名坂(中台3丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区中台3丁目 若木通りの東側の延命寺の東を北から南へ上る坂です。場所は中台3丁目23,24番地と22番地の間にあります。坂上は 無名坂(中台3丁目の坂Ⅱ) の坂下になっています。少しきつい勾配のある坂にしては滑り止めが施されています。左右の傾斜を見るとわかりますが、少し 斜めに傾いています。そのためなのでしょうか。 ( 6% :8m/130m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(中台3丁目の坂Ⅱ)

 場所:東京都板橋区中台3丁目 若木通りの若木小北交差点を坂上にして、東へ下る坂です。場所は中台3丁目18,20番地と21番地の間にあります。坂下は 無名坂(中台3丁目の坂Ⅰ) の坂上になっています。少しきつい勾配のある坂です。( 9% :8m/130m) 《撮影日:2009年8月16日》

南(みなみ)坂【中台2丁目】

  場所:東京都板橋区中台2丁目 【標識なし】 [由来分類:所在位置(南側)] 東の台地、志村の方から、中台に上がるには、この坂を通るしかなかった。 坂の下を流れる出井川に架けられた摺張橋を渡り、この坂を上がり、練馬の富士街道につながる道であった。 坂の下には庚申塔が3基祀られていて、いづれも道しるべを兼ねている。うち1基は摺張橋の橋供養を行っていて、道中の無事を祈っている。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区中台南坂緑地の西側を北から南へ上る坂です。写真で分かるように自転車を押して上がるくらいきつい勾配があります。( 11% :17m/160m) 《撮影日:2009年8月16日》 <寄り道で見つけた>👀📸 野鳥案内板にも「南坂」の記述がありました

閻魔(えんま)坂【中台1丁目】

  場所:東京都板橋区中台1丁目 【標識なし】 [由来分類:施設名(神社仏閣:閻魔堂)] 稲荷神社(若木1-13)前を通る若木通りが、富士見通りに出る手前の坂をいう。谷津に向かって坂は下り、閻魔橋を渡り、また上がっていた。橋の側に閻魔堂があったので 閻魔坂 と呼ばれた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 中台交番前交差点を坂上にして南へくねりながら下る坂です。どこまでがこの坂であるか定かではありませんでした。富士見通りまでだとすると結構長い坂になります。緩やかな勾配の坂であることは変わりません。(3%:8m/260m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(城山レジデンス横の階段坂)【志村2丁目】

  場所:東京都板橋区志村2丁目 城山通りから城山レジデンスの横を北へ上る階段の坂です。坂下が 無名坂(城山通りの坂) になります。志村2丁目14番地にあります。 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅲ)

  場所:東京都板橋区徳丸5丁目 徳丸槙の道を坂上にして南に下ります。徳丸5丁目12,21番地と11,22番地の間にあります。この坂の坂上は 無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅳ) の坂上でもあります。少しきつい勾配のある坂です。( 8% :8m/99m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅳ)

  場所:東京都板橋区徳丸5丁目 徳丸槙の道を東から西へ上ります。徳丸5丁目22番地23番地の間にあります。この坂の坂上は 無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅲ) の坂上でもあります。また坂下は 鷹番の坂 となっています。緩やかな勾配の坂です。( 2% :1m/53m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都板橋区徳丸5丁目 板橋区立四葉公園の南東角を坂上にして南に下ります。徳丸5丁目27番地と四葉1丁目22番地の間にあります。この坂の坂上は 無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅰ) の坂下でもあります。結構きつい勾配の坂です。( 10% :6m/63m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区徳丸5丁目 徳丸石川通りを坂上にして西に下ります。徳丸5丁目27番地と28,29番地の間にあります。坂の途中に 峡の坂 の坂下があり、この坂の坂下は 無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅱ) の坂下でもあります。緩やかな勾配の坂です。(2%:1m/54m) 《撮影日:2009年8月16日》

番場(ばんば)の坂

  場所:東京都板橋区徳丸8丁目 【標識なし】 [由来分類:所在施設(番小屋)] 徳丸台地の農家の人々が、徳丸田圃(現、高島平)に通う坂道は幾つかあったが、この内の一つに、 ばんば坂 があった。比較的緩やかな坂なので、一番利用されたという。 この坂は紅梅小学校の西側を通り、徳丸台地から下る坂である。下は徳丸田圃になり、道はやがて荒川の徳丸河岸に通じる重要な道であった。坂の下近くに湧き水があり、坂の上に代官から水番を命ぜられた番小屋があったといい、加えて郷蔵があり蔵番が置かれたという。この辺りの地名を番場と呼ぶのもうなずける。  「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 首都高速5号線側線との交差点を坂下に南西に上り、徳丸8丁目13番地を過ぎてすぐ南へ曲がる坂です。緩やかですが途中で曲がる長い坂となっています。(5%:19m/400m) 《撮影日:2009年8月16日》     

無名坂(徳丸8丁目の階段坂)

  場所:東京都板橋区徳丸8丁目 徳丸8丁目17番地(都立赤塚公園徳丸ヶ丘緑地公園)と14番地の間にある階段の坂です。写真左手が 都立赤塚公園徳丸ヶ丘緑地公園です。坂を上がると板橋区立紅梅小学校があります。 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸7丁目の坂)

  場所:東京都板橋区徳丸7丁目 徳丸7丁目13,14番地と12,15番地の間にある坂です。坂下(東側)が 大坂 で坂上(西側)が 下井戸の坂 になっています。緩やかな勾配の坂です。(4%:6m/140m) 《撮影日:2009年8月16日》

下井戸(しもいど)の坂[寺の後ろの坂][仕手戸の坂][後ろの坂]

  場所:東京都板橋区徳丸8丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(井戸)] 寺の後ろの坂 ・ 仕 手戸の坂 ・ 後ろの坂 といろいろと呼ばれる。台地の崖が急なので、坂は、くの字に曲がり、上りやすくなっていた。坂の下には大井戸があり、灌漑用水や洗い物などに使われた。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 大坂 と並行に北から南へ上る坂です。坂下は都立赤塚公園徳丸ヶ丘緑地公園となっています。 大坂 とこの坂を結ぶのが 無名坂(徳丸7丁目の坂) となります。緩やかな勾配の坂です。(4%:5m/120m) 《撮影日:2009年8月16日》   

無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅲ)

  場所:東京都板橋区徳丸6丁目 鷹番の坂 の途中から東へ下ります。徳丸6丁目6番地13番地の間にあります。この坂の坂上は 鷹番の坂 および 無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅰ) の坂上でもあります。また坂下は 天神坂 の坂下と出会います。緩やかな勾配の坂です。(4 % :4m/100m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区徳丸6丁目 鷹番の坂 の東側にあり 、 鷹番の坂 の途中から分かれて南へ下ります。徳丸6丁目6番地にあります。坂上は 無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅲ) の坂上でもあります。少しきつい勾配のある坂です。 ( 6 % :6m/99m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都板橋区徳丸6丁目 徳丸槙の道の徳丸7丁目交差点から東へ下ります。坂下には東京都立赤塚公園辻山地区があります。緩やかな勾配の坂です。 (3 % :6m/220m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅴ)

  場所:東京都板橋区徳丸5丁目 鷹番の坂 の坂下から東へ上ります。徳丸6丁目6番地13番地の間にあります。この坂の坂上は 鷹番の坂 および 無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅱ) の坂上でもあります。また坂下は 天神坂 の坂下と出会います。緩やかな勾配の坂です。(1 % :1m/93m) 《撮影日:2009年8月16日》

大(おお)坂【徳丸7丁目】

  場所:東京都板橋区徳丸7丁目 【標識なし】 [由来分類:形状・地形(長さ)or 総称] 徳丸台地の旧小字本村にある安楽寺の東側と、辻山の境から徳丸田圃(高島平)に下りる坂である。徳丸地区の坂では、最大の坂で長坂である。北野神社の「田遊び」の唱え言葉にある「・・・ほめ候、 大阪 をぞっとおりて 早瀬の渡しをぞっとこえて・・・」の 大阪 はこれであろうといわれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 東京都立赤塚公園徳丸ケ丘緑地地区と辻山地区の間を首都高速5号線の下を坂下にして徳丸槙の道を南へ上る坂です。坂の途中に 無名坂(徳丸7丁目の坂) の坂下があります。少しきつい勾配のある坂です。( 7% :15m/210m) 《撮影日:2009年8月16日》

鷹番(たかばん)の坂[高番の坂]

場所:東京都板橋区徳丸6丁目 【標識なし】  [由来分類:所在施設(鷹番)] 高番の坂 とも書く、前谷津川を渡り北野神社に向かう道から分かれ、崖沿いに左に上がり、安楽寺前に出る坂を 鷹番の坂 という。今は途中から徳丸通りになっている。坂の名の由来は不詳であるが、徳丸ヶ原は、かつて徳川将軍代々の鷹狩りの場所であったので鷹番の番所でもあったのかもといわれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 徳丸通りを中心に南から北へ上る坂です。坂の途中には 無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅳ) の坂下、 無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅱ)の坂上および 無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅲ) の坂上があります。緩やかで長い坂です。(3%:9m/350m) 《撮影日: 2009年8月16日》   

天神(てんじん)坂[宮坂]【徳丸6丁目】

  場所:東京都板橋区徳丸6丁目 【標識なし】 [由来分類:施設名(神社仏閣:北野天神)] この坂は、 宮坂 とも呼ばれている。旧小字東と高山の境にあって宮下から北野神社への参堂である。昔は赤土の崖で急坂なので上り下りに大変な難儀をしたという。 坂の下には、文久2年(1862年)の「天満宮 これより二丁」と彫られた道標が立っていた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 説明にもありますが滑り止めが施された相当な急坂です。( 16% :11m/69m)坂下は 無名坂(徳丸6丁目の坂Ⅲ ) の坂下でもあります。       《撮影日:2009年8月16日》

峡(はけ)の坂

  場所:東京都板橋区徳丸5丁目 【標識なし】 [由来分類:形状・地形(勾配)] 徳丸石川通りを石川橋公園(徳丸5-14)のところから、北に少し行くと、左側に斜めに上がる坂が見える。 峡の坂 の一部である。坂の先は松月院通りに出て四葉の 駒坂 に通じていた。崖下(峡下)から上がったので 峡の坂 と呼ばれる。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立四葉公園の東側を 南から北へ上る坂です。徳丸5丁目28番地と29番地の間にあります。坂下は 無名坂(徳丸5丁目の坂Ⅰ) になります。緩やかな勾配の曲がった坂です。(4%:2m/47m) 《撮影日:2009年8月16日》

向(むかい)坂[むけい坂]

  場所:東京都板橋区徳丸3丁目 【標識なし】 [由来分類:総称] 通称、 むけい坂 とも呼ばれる。谷を挟んで北側の徳丸本村の台地から望めば、向かいの台地を上がる坂となる。 南北に通る徳丸通りが前谷津川に下る坂をいう。旧小字観音講と長谷津を分けている。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 徳丸通りを南北に走る坂で、 坂上を 観音講の坂 と 共有し北の西徳通りとの宮の下交差点向かって下って行きます。曲がりながら下る緩やかな勾配の坂です。(5%:11m/210m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸1丁目の階段坂Ⅳ)

  場所:東京都板橋区徳丸1丁目 徳丸1丁目52番地にある階段坂です。坂下は 新坂 になります。 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸1丁目の階段坂Ⅲ)

場所:東京都板橋区徳丸1丁目 徳丸1丁目52番地と53番地の間にある階段坂です。坂下は 新坂 になります。 《撮影日:2009年8月16日》

観音講(かんのんこう)の坂

  場所:東京都板橋区徳丸3丁目 【標識 なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:観音堂)] 徳丸5丁目から前谷の徳石橋を渡り、南の台地に向かうと、台地の裾から上にかけて旧小字観音講と呼ぶ一帯が広がっている。この地は谷を挟んで東西に分かれている。この東側を上がる坂を 観音講の坂 という。坂の下に観音堂(アゼッポのお堂と呼ばれた)があって、観音信仰の信者によりう結衆した家の多い地であった。このことから観音講と呼ばれるようになったという。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 徳丸通り で 向坂 と坂上を共有し、 徳丸3丁目35,36番地の間を西へ下る坂です。少しきつい勾配の去る坂です。( 6% :13m/230m) 《撮影日:2009年8月16日》   

お伊勢(おいせ)坂

  場所:東京都板橋区徳丸4丁目 【標識 なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:伊勢神社)] 前谷津川の南の台地下から、台上にかけ旧小字観音講と京宗と呼ばれるところがある。ここを上がる坂を お伊勢坂 という。坂を上がると伊勢社が祀られていた。 このことから お伊勢坂 と呼 ばれる。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 西徳通りを坂下にしてくねりながら南へ上る坂です。少しきつい勾配のある坂です。( 9% :15m/170m) 《撮影日:2009年8月16日》   

無名坂(徳丸4丁目の坂)

  場所:東京都板橋区徳丸4丁目 徳丸石川通りを坂下として南へ上る坂です。徳丸4丁目32番地と33番地の間にあります。滑り止めが施されているのがこの坂です。結構きつい勾配のある坂です。( 14% :10m/71m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸2丁目の坂)

場所:東京都板橋区徳丸2丁目 徳丸2丁目18,19番地と17,20番地の間にある坂で北に上る坂です。東を走る不動通りとほぼ並行に走っています。少しきつい勾配のある坂です。( 8% :11m/130m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(徳丸1丁目の階段坂Ⅱ)

  場所:東京都板橋区徳丸1丁目 徳丸1丁目53番地と56番地の間にある階段坂です。 《撮影日:2009年8月16日》